刈部さんインタビュー

子供の健康は、親の一番の願いです。
相田歯科に30年勤務されている刈部さんについて気になっている方も多いと思います。 パパママが気になっている事、聞いてきました!

どんなふうにアトピーの治療をしてきたのか?

アトピーの新聞記事読みました。ぜひ細かいことを教えていただきたいです!

口呼吸と出会って人生、本当に変わりました。

本当に口呼吸を止めただけで改善したんですか?

はい、その原因を知ったことで、自分で自分のフォローが出来るようになりました。アトピーって、どこへ行っても原因不明の病気なんです。

(アトピーが)ひどいときに皮膚科の先生のところに行ったときに「あら~どうちゃったの」って言われて。「いや、どうしちゃったか分からないから来たんだよ」って突っ込みたくなるような。(笑)

いつ頃からの話なんですか?

アトピーは小学校5年くらいから発症して・・・ただ当時はアトピーという名前がなく「皮膚炎」という感じでした。アトピーという診断がついたのは20歳くらいですかね。

その頃ってアトピーっていう概念がなかった?

アトピーって名前自体も原因不明の病気って意味らしいです。(※)最初まず首のところに出てきて、顕微鏡で見たら「カビの一種です」って言われて、真菌剤みたいのを塗りました。

小学校6年生の時には、包帯をしなきゃ学校に行けないくらい掻いちゃって。ひどい時はひどいけど、薬を塗ったり生活に気を付けていたりすると一時的に治るので、中学生の時には一時的に治まったんです。

※アトピーの意味:「特定されていない」「奇妙な」という意味のギリシャ語「アトポス」

薬を塗ったから?

ですかね、よくなったり悪くなったり。社会人になった時にストレスで一時期ひどくなって、その時に初めて「アトピーだから」と言われました。世の中でアトピーと言われ始めてきた中で「自分もアトピーじゃないかな」と思っていたらアトピーだと言われたんです。

原因が分からないのだから不安ですよね。

最初に病院へ行ったときに、ステロイドを塗っていたんですよね。市販で売っているベトネベートを塗っていてひどくなった。

薬を塗っていてひどくなった?

そうです。塗っても治らなくなってきて、ひどくなってきたので皮膚科に行ったらステロイド剤の塗りすぎみたいに言われたんです。塗らないでいるとリバウンドしてひどくなんです。

皮膚科で「ステロイドを抜くのに塗った年数の倍かかります」と言われました。ステロイドを普通に薬局で売っている時代でした。

ステロイドって、何か悪いらしい、みたいなイメージですよね。

ステロイドって良くないというイメージですよね。皮膚科に行ったら、使っている塗り薬が上から何番目からのストロングですよと。今みたいにネットもなかったので分からないですよね。ステロイドを塗ってはやめ塗ってはやめをくりかえし、結局止められず。

23歳から相田歯科で働き始めたときに、ものすごく(アトピーが)出っちゃって・・・その時に東京医科歯科の大学病院に行ったら「とにかくステロイドを抜きましょう」と。とにかく壮絶でした。

「抜きましょう」って表現なんですね。

そうです、麻薬中毒者と一緒ですよね・・・ステロイドがドラッグみたいな。もうね、大変でした。塗ると治まるけど、今塗らないという選択をしないと生涯塗り続けることになる。

痒さとの闘い?

もう痒いのと、そのころ精神的に不安定になってしまっていて・・・診断したら鬱だったと思います。顔真っ赤っかのまま仕事に来て、患者さんに「どうしたのその顔」とか言われてましたけど、それでも仕事していました。

午前中はだるくて起き上がれず寝てました。たまたま実家が自営業だったのでそんな生活をしていても何も言われず。相田歯科の仕事は午後からだったで、どんなにひどい症状でも働かせてもらっていたのでありがたかったです。

結局抜けたんですけ?

一時的なひどい状態からはよくなりましたが、何年かすると出てくるのでまた使い始めるんです。そのうち自分にあったステロイドの使い方を考えて、やりすごしてました。

でも、10年前(インタビューは2020/12)に今井先生に出会うことによって「口呼吸が大きな要因だった」ということが分かって、衝撃でした。

今井先生との出会い

今井先生に出会ったのは?

相田先生と聞きに行った勉強会です。今井先生と腎臓内科の堀田先生が来ていました。

病巣疾患(びょうそうしっかん)研究会の走りですね。

医科が歯科と融合し始めたころですね。昔は、歯科の講演に医科の先生がいるっていうのはおかしな構図だったんですね。

10年前までそうだったんですね。

お互いに知らぬ存ぜぬで・・・。衝撃でした、アトピーがまさか歯科の領域の話なんて。「私、何年間歯科医院で働きてきたの⁈何してきたの?」と。アトピーが、自己免疫疾患だと言われるようになってきました。今井先生に出会うまで自分の病気が自己免疫疾患だと言ってくれる先生もいなかったです。

自己免疫疾患(じこめんえきしっかん)って?

自分の正常な細胞を、自分の細胞が敵と間違えてやっつけちゃう。

何故そんなことが起きるのでしょうか?

身体のどこかに病巣(びょうそう:病気の巣)があるから、病気と勘違いしているんですね。私の体験で言うと、アトピーがひどくなる3~4年前から、とにかく1年に3回も4回も扁桃(へんとう)が腫れるんです。

抗生物質を何回飲んでもよくならない、一時期扁桃が腫れすぎてご飯が食べられなくて「入院したほうがいい」と言われたけど、仕事があるから入院できなかったので点滴してから相田歯科へ来て仕事していました。そんなのが1~2年続いたら、アトピーがバン!とひどくなった。

でも今から思えば、口呼吸をしていたことで扁桃が腫れやすくなって、そこに攻撃をしていた免疫がアトピーの方の攻撃に変わってひどくなった。

そんなときの今井先生の出会いなんですね。いうなれば「神様仏様今井様」みたいな・・・。

ある意味宗教のようです。(笑)その時に上咽頭の治療も始めました。今井先生がミサトールと言う梅のエキスを紹介していたので、すぐ欲しい!と。

最初は「取扱をしている内科を受診して、処方してもらわないと買えない」と言われました。相田先生と私がアドバイオという製造元に電話で直談判しましたが、最初は色よい返事がもらえなかったんです。

でも、今井先生の話を持ち出して実は歯科で働いていると話したら、歯科の先生がいるならいいよということで取り扱いできるようになりました。今は歯科の取扱店で処方なくても買えます。

「鼻うがい」はどれくらいやったんですか?

1日1回です。口呼吸にならないように口にテープを張ったり、あいうべ体操もやりました。そこから先はひどくなることはなかったですね。

最近では、乳ガンになる前の1年間の免疫が落ちていたときが一番ひどかったんです。どこが原因か分からないから、ずっと疲労だと思っていて。上咽頭の治療を今井先生にやってもらうと、一時的にはよくなるんですけれど。ガンが見つかるまでの半年間、自分のだるさが何のだるさだか分からなかった。

痛みはなかったんですか?

痛くはなかったです。右胸にハリを感じましたが、シコリはなかったのでまさか乳ガンだなんて…。乳ガンはシコリという概念がありましたので。

2018年の5月9日にガン宣告を受け、私の運命が変わりました。その日ことは今でも忘れられません。あまりにも突然で考えることがいっぱいあったので、泣いている暇がなかったですね。

乳ガンになってまず思ったことは、最初のドミノを倒してしまった結果なんだと思いました。

最初のドミノを倒してはいけない

病気って上流が汚いと生まれるそうです。病気のドミノ・・・最初にアトピーというドミノを1個倒したので、ずーっと後まで倒れちゃっている。子供たちに同じ思いをさせたくない。

どうしたらいいかというと、子供たちにならないための生活習慣を教えないとならない。だから変わったです。

そこは絶対伝えたいですよね。

そう、だから自分が倒してしまったドミノを子供たちには倒してほしくない。

「最初のドミノを倒す」という事は、具体的にはどのような事なのでしょう?

やっぱり口呼吸です、口腔内環境が上流なんです。

具体的にはどうしたらいいんでしょうか?

口の中をキレイにする、鼻呼吸にすることです。口で呼吸をすると、乾燥して自浄能力が下がるので口の中が汚くなってしまいます。上咽頭(じょういんとう:鼻の奥ののどちんこの裏)の話をすると、ココ何科だっけ?という感じだけど。笑

<上咽頭の図>

2015年6月に耳鼻科を増設して、谷俊治先生、金子朋広先生、今井一彰先生、小川明先生方とともに、上咽頭の治療に関わったことで、歯以外の病院を知るキッカケになりました。恵まれた環境に感謝しております。谷先生は、上咽頭に関しては生き字引みたいな方です。今井先生との対談もあるのでそちらも見てください。

今井先生の対談へ

今井先生の言葉を借りると「知ってしまったから伝えたい」。

アトピーに悩んでいるお母さん、刈部さんに聞きたいこといっぱいあると思います。

読売新聞に出させていただいた時は、1カ月くらい電話で「刈部さんお願いします」って感じでした。

そうだったんですね。親は藁にもすがる思いなんです。親は自分が責められている気がしちゃうんです、あたしの子育てが悪かったんじゃないかと。

説明はいくらでもしますし、聞きたいという人には全て教えます。耳鼻科も併設しているので、チーム医療であたっています。

病院に来て、歯科治療のこと以外をしゃべっていていいのと思うのですが。

私はその仕事が一番多いですね。(笑)話を聞く医療コーディネーター的な立場でどの科を受ければいいかアドバイスできると思います。

医科(内科や外科など)は病気にならないと行かないけど、今井先生は「歯科は常に行くところだから、そこで発信するのが一番だ」と。

確かに「すいません~風邪予防したいんですけど~」って内科に行かないですよね。

だけど、歯科は予防に来る人が多い。相田歯科は、患者さんの半分くらいが検診で来院します。そうやって治療だけでなく検診に来てくれる、通うところになりつつある。

相田歯科は、予防よりもうちょっと上に行っていて「何で予防するのか?」といういう上流から話していると思います。

行きつくところは「来てくれる患者さんが元気で健康でいられるお手伝いが出来ること」です。何で予防するのかを説明している、何を予防しているんだ?って話ですよね。そういう説明をもっと歯科で出来ればいいと思っています。

せっかくフッ素を塗りに来たりしているので、そのついでに知ってもらえると何かあった時に「あ、なんか、あそこでそんなような話を聞いたような気がする」って思い出してもらえるかもしれないじゃないですか。

相田先生が「刈部はドラえもんが欲しかった」と言うんです

説明したいし、自分も勉強してきたからそれを発信したい。よく相田先生が講演のスライドで「刈部はドラえもんが欲しかった」と言うんです。

ドラえもん?

過去の自分に戻りたい、タイムマシンが欲しいと。ひどかった時の自分に何を言うか「口閉じろよ!」と。(笑)いつも先生が私の事を出すときには、ドラえもん、タイムマシンを出して話します。

過去には戻れないから戻れない分、未来の子供たちに伝えるしかない。知ってしまったから伝えたいんです。10年前に今井先生にあった時に変化があって。

次の変化は耳鼻科を始めたことですね。今井先生が9割診察したら、あとは刈部さんどうしてそこまでやるのかを話す役割だとインタビューでおっしゃってました。

今井先生は、話がうまいんです。

ペップトークってやつですか?

今、相田耳鼻科での診察は1人5分なんですね。5分の中に上咽頭の治療もして、話もします。その短い時間にペップトーク、つまり要点を伝えて患者さんを気持ちよくして返すことが大事なんです。今井先生は「相田歯科のために俺はペップトーク勉強したんだ」と言っています。(笑)

患者さんは、あなたは病気だと認めてほしくて来ているんです。ムリに「あなたはよくなりますよ」と言ってほしいのではなく、「そう、あなた病気です」と認めてほしいのです。

耳鼻科開設当初、谷先生が「上咽頭炎ですよ」と診断すると「ああやっぱり私病気だったんだ」と。病名が付くことで安心するんですね。「結局、何だかわからない」といわれるのが一番辛いんですよね。

荒野に独りぼっちじゃなくて、灯を置いてもらえるんですものね。

7割くらいの人が慢性上咽頭炎を持っていて、発症する人しない人がいるのではないかと思います。発症した時に、スムースに治療を受けられるお手伝いが出来れば思っています。

どうしたらいいか、何科に行っていいか分からない状態ですね。

自分が鬱になった時は「とにかく入院させてくれ」と母に言っていたんです。朝起きると顔が真っ赤で微熱が続いてて、結局何科に行っていいか分からない。総合診療科というのはあるけど、ある一部の病院にしかない。もしかしたら、慢性上咽頭炎による慢性疲労症候群という診断だったかもしれない。慢性疲労症候群って今は結構言われてるけど、20年前にはなかったのですよね、少しずつメディアで言われ始めて。

ちなみに直近の体調はいかがですか?

今はいいですよ。2018年5月に乳ガンが発覚してから、抗ガン剤、オペ、放射線治療まで2019年2月に終わりました。今はホルモン剤と乳がんの治験(2021年の3月まで)をやっています。ホルモン剤は10年飲み続けます。今思えば、放射線治療が一番大変でしたね。毎日午前中に放射線治療して、午後仕事して、終わったころは疲れ果ててましたね。

放射線治療の後に出来るんですか?!仕事・・・。

今は全てのガン治療は、日常生活をしながらの治療がほとんどです。ガン治療を終えて戻れる仕事があるという事がとても大事でした。心の支えにもなりました。自分が体験したことを出来る範囲で、知ってもらいたいんです。

患者さんにこの場所を提供できたという事が喜び

そもそも知らない、知る機会がないんですよね。

イロハのイが伝わればいいです。ここにきている方全員に話が出来ないのであれば、ホームページ上でこういう話を載せて読んでいただけると思いますし。

これを読んで「あ、聞いてもいいんだ」と思ってもらえればいいですよね。

ここ10年でいろいろな病気を知りました。勉強できたという事は、言葉悪いですけれど面白いですよね。知ってしまったから、伝えたいんです。知ることは楽しいですよ、こういう事もあるんだと。

そういえば、アトピーがひどくなったときにチョコとコーヒーとアイスと果物を食べるのをやめなさいといわれたこともありますね、加糖を取るのは皮膚によくないと。新潟の鈴木公子先生、松山の糖尿病の西田先生も加糖はダメだよと。勉強する事によって、歯科以外との先生ともお会いする機会が多くなり、助言もいただけるのでとても楽しいです。

嬉しかったエピソードはありますか?

子供たちが「ここの歯医者だったら行きたい!」「ココの歯医者面白いんだよね」と言ってくれたことですかね。やってきたことは間違えてなかったのかなと思う。治しに来るんじゃなくて、顔を見せに来る子もいますね。

中高生の時、部活動が忙しくて一時的に来なかった子も、大学生になるとまた来てくれる・・・親戚のおばちゃんみたいな感覚になっちゃいます。なんせ私は30年いますから。(笑)小さかった子が結婚して子供を連れてきてくれると嬉しいですね~。お父さんお母さんなのについ「○○ちゃん」て呼んじゃう。(笑)

30年ってそういう事なんですね。

耳鼻科や内科は、立ち上げまで大変だったけど一緒にフォローしながらやってきてよかったと思っています。この患者さんにこの場所を提供できたという事が喜びです。自分が病気になった時に自分が救われたのもここです。

今井先生ががんの治療に関しても、とにかく抗がん剤やったほうがいいって。抗がん剤って、省けるものなら省きたいじゃないですか。かかった病院でしょっぱなに「抗がん剤を使います、それが嫌なら他の病院行ってください」と言われたんですね。

今井先生の言葉で覚悟は決まりましたよね。後押ししてくれる先生がいたことが、私の中でも強くなれた一つの要因です。

今井先生の他にも、私の周りはとても尊敬できる先生方がいっぱいいて乳ガンの治療中も相談に乗っていただいたり、励ましてくださったり、とても幸せだと感じました。患者さんに恩返しをする事が、私のこれからの使命だと思っています。とにかく、患者さんの話を聞いて、どんな治療を望んでいるのかを見極めて最良の先生の元へ橋渡しするのが私の仕事です。

迷っている人にとっては、「あなたこっちですよ」とか「あっちですよ」って言ってもらえるだけでもありがたいですもんね・・・。

行く先が見つかるだけでもいいですよね。アトピーに関していえば、自己免疫疾患を一緒に勉強しようということです。かゆいな~と思ったら、疲れている証拠です。「疲れたら休みなさいよ」ってことなので、簡単に言えば、無理をしないことです。

口内炎も疲れている証拠で「無理するなよ」って身体がシグナルを出しているんです。「根っこを見てよ」ってことですよね、木を見て森を見るんです。

相田先生との診療の中で思うのですが「その歯だけ見ないでください、もっとカラダ全体を見てほしい」と思います。私は親目線、患者さん目線になるので、それを先生に伝える役です。

先生には、患者さんの治療に関しての要望や置かれている環境などを説明する。患者さんには、先生が言った治療の説明を患者さん目線で分かりやすく話をする・・・そんな翻訳係なんです。先生が「これいい治療だろう、俺の腕だよ」って押し付けられても困りますよね。そうじゃなくって、患者さんは最終的にどんな治療のなるのか「治る過程」を知りたいんです。

いろんな病気を経験し、私自身が患者となり各科の医師の診断のもと、いろんな治療を受ける事によって、患者さんがどんな風に説明されると理解できるのかを学ぶ事も出来ました。

確かに先生の説明が分からない事、結構ありますよね。

相田先生とは何百回もぶつかりました。パソコン殴って2台ダメにしたり、壁に穴開けたり・・・。(笑)でも、向いている方向が同じだから、やっていける。

あと、信頼してもらえてるという自信が生まれているのもありますね。患者さんのお母さんから「あなたが言うんだったら」と言っていただけるとありがたいなと思います。

私もそうです、刈部さんが言うんだったらって思います。

ありがたいな、って思います。電話出ると、名指しで刈部さんって。

それは指名料とらないと。(笑)

親は自分の子供のためには盲目になります。自分の親にもいまだに「アトピーを治すためにいくら使ったか分からない。ドクダミを煎じて飲ませたり、当時まだ高かったアルカリイオン浄水器を買ったり、云々」と言われます。(笑)

ある日突然「自分のためだったんだ」と思える時が来るんです、常日頃そう思わせてくれる両親だったので、ありがたかったですね。昨年8月に亡くなった父にたくさんのありがとうが伝わっていればいいなと思っています。

刈部さんの思い

50年でいろいろな病気と闘ってきました。病気になって良かったとは決して思いませんが、たくさんのものをもらうこと出来ました。時に人との繋がりは、本当に感謝しております。

32歳、卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)になった時に人生初のオペ(手術)入院をしました。健康で仕事が出来ることがどんなに素晴らしいかを知ること出来ました。

49歳で乳ガンになった時、初めて命という事を考える機会をもらいました。生きることの大変さ、普通の生活を送ることがどんなにありがたいかを知ることが出来ました。ガン治療中、家族と過ごす時間が増え、絆がより深くなりました。とてもありがたいと思いました。

父と母には「恩返しをする」という覚悟が出来ました。本当にたくさんの方に支えられ、ここまで来ました。感謝してもしきれないほどです。残りの人生を1人でも多くの方に恩返しできればと思っております。

相田歯科の仕事の中で悩んでいる患者さんの思いを聞くこと出来ればと思っています。

相田先生ミニコーナー

刈部さんのインタビュー後、診療の合間2分で相田先生が伝えてくれたことがありました。併せてお伝えします。

相田先生ミニインタビュー

子供が初診で来たんです。主訴は口呼吸を見てほしいと。刈部がこれから起こりうることなどを20分くらい話していました。初診料だけなので、本当はそこまで話さなくていいです。(笑)お母さんが帰る寸前になって「実は私の主人がIgA腎症なんです」って言いだして。

僕は歯科医師だから踏み込んだ発言をする権利はないけど、僕の盟友(堀田修医師)がIgA腎症の世界的権威なので話は出来ますよと話し始めました。病巣疾患、扁桃腺摘出の話とか全部しました。寛解(かんかい:全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること)させたいんだったら歯科的治療で尿所見が改善している人もいる、その前に勉強しないとだめですよと。

その間30分くらいですが、初診料で担保できない、大赤字です。(笑)帰りにそのママが「何から何まで説明していただいてありがとうございました」と言ってました。それがうちの姿、それでOK、それがみんなの支えになっていれば。

最初に言うんですよ、鵜呑みにしてくれって。(笑)話をちゃんと消化出来る人が、健康になっていくんです。


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